2015年09月19日

青春18きっぷ 庄内平野の旅 その六。

中一日だけの酒田滞在なのに市内散策でだいぶ時間を使ってしまっていました。
中心街にある百貨店のようなショッピングセンター「清水屋」の近くにあるレトロな食堂「よしのや食堂」で昼食。
もう時刻は午後2時過ぎでしたが、せっかく自転車を持ってきたのだから田んぼが広がる庄内平野を走ってみたいという気持ちも強くなってきました。

陸羽西線の列車の車窓から眺めていたあの風光明媚な最上川沿いの道路を走ろうと思いつき、まずは酒田駅から陸羽西線に乗って、すこし上流で最上川と合流する古口駅まで輪行です。
ここは最上川ライン下り発着所の最寄り駅なので、平日なのにタクシーの客引きの人もけっこういました。
さあ、最上川沿いに酒田まで走り出します。
新庄の方から吹きおろしてくる強い追い風を味方に快走です。
しかしこの道路は道幅がないわりには大型トラックの往来も多く、横スレスレを追い越していく漢もいて怖い思いをしました。
オートバイなら最高だったでしょうが、けっして自転車にはお勧めのコースではありません。

狩川駅の辺りから道路は最上川と離れ、最上川の土手沿いのサイクリング・ロードへ逃れることにします。
車を気にせずに楽〜な追い風を受けながら、青い空も水田も遥かかなたまで広がる庄内平野を満喫しました。
陸からの強い風は庄内平野の名物、風力発電の風車がビュンビュン回って、群れとなって立っています。
そんな役に立つ風ですが、昭和51年の「酒田の大火」ではその風が災い大惨事になってしまいました。
宿屋の主人に「大火の記録写真」を見せてもらいましたが、火は海から吹いた強い風にあおられたちまち燃え広がり、中心部の大部分が焼失してしまったそうです。

スケッチは酒田の北、遊佐の町、鳥海山裾野を流れる月光川からの鳥海山風景です。
もう日も落ちる夕方、ぜひ訪ねておきたかった、映画「おくりびと」の主人公がチェロを弾いていた、あのシーンのロケ地にたどり着くことができました。
下校途中の自転車に乗った数人のヘルメット姿の中学生に「こんにちは!」と挨拶されると、なにかとてもシアワセな気分になりました。

最寄りの遊佐駅から列車に乗ってすっかり暗くなった酒田の宿にすべり込みセーフです。
台風15号は九州を抜け温帯低気圧になって日本海へ、東北は幸い影響なく晴天続きだったのですが、風だけはだんだんひどいことになってきました。
宿のガラス戸がガタガタ音を立てています・・・宿のおやじさんの話っぷりから翌日の列車運行状況がだんだん心配になってきました。


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  山形県遊佐町 「月光川と鳥海山」




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2015年09月17日

青春18きっぷ 庄内平野の旅 その五。

湊町酒田は江戸時代、西廻り航路が開けた後、廻船・北前船の重要な寄港地になり、米や紅花が大阪や京都に運ばれました。
北前船の往来で商業が発達、豪商も次々と出現し、舞妓さんのいる茶屋文化や格式のある料亭文化など市内にある観光名所には「京の町」を彷彿とさせる文化財が点在します。

「港」というとすぐ太平洋沿岸の漁港を思い浮かべてしまう私ですが、日本海沿岸の港町には明治以後の横浜のような華やかな湊町文化がずっとずっと以前から発展してきたのだなあ、と訪れてはじめて北前船のこととともに理解ができました。

別の話になりますが、市内の飲食店をとってみても海に近いわりには魚料理の店が少なく、かえって焼肉・ホルモン焼きの店の方が多いのには驚きました。
今回は食べる機会を失ってしまった「酒田ラーメン」も気になります。

市中のスーパーマケット巡りも好きで、地元の人が行くようなスーパーでその土地しか売っていないものを見つけたりするのが楽しみです。
とあるスーパーに入ったときのことです。
菓子売り場の前を通り過ぎようとした瞬間、忘れかけていた愛知の旅を思い出すお菓子の袋が目に飛び込んできました。

それは私の住んでいるところではまずお目にかかれないお菓子、愛知県小牧市に本社がある松永製菓の「しるこサンド」でした。
愛すべき愛知のローカルなあのお菓子がなぜ?はるか遠く離れた東北・日本海の湊町での予期せぬ再会にうれしさがこみあげ、気がつくと手を差し伸べていました。

レジの人に聞くと、ここ庄内平野ではずいぶん前からの、なじみ深い人気のお菓子だそうです。
流行や情報、何もかもが東京発信、東京経由のように感じ、物質だけは豊かになった日本全国画一的な価値感の現代ですが、そのお菓子のことと北前船の往来で伝わった文化のこととが頭の中で重なり、ほんとうは地方同士の文化の繫がりが互いを影響し合い、より豊かな文化を育てるのではないかと・・・そんな気がしました。

スケッチは江戸時代から酒田を代表する料亭「相馬屋」を修復した「相馬楼」。

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  山形県酒田市日吉町 「相馬楼」





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2015年09月15日

青春18きっぷ 庄内平野の旅 その四。

2008年公開の映画「おくりびと」の舞台が酒田だったということを知ったのは今年に入ってからのことでした。(原作は富山が舞台の話です)

私はたまにYoutubeで気に入った曲を見つけると何度も何度も聞きながら口ずさみ、耳で音階を覚えてメロディーに合わせキーボードを弾いて遊んだりするのですが
その中で好きになった曲のひとつがチェロの音色が美しい「おくりびと」のメインテーマ曲です。
そして映画を実際に観てみたいと思うようになりました。
それは「人間の生死、家族の愛、愛する人への愛」が厳しい冬の酒田の風景とともに描かれた、こころ奥深くまで問いかけてくる映画でした。
いつしか私は「おくりびと」に出てくる酒田に行ってみたくなっていたのです。

スケッチは映画の中で「NKエージェント事務所」として出てくる「旧割烹小幡」の建物です。
港に近い日和山公園の丘へ向かう坂の途中にあって、右側に隣接する和風の同じ割烹とともに、その場に立つとすぐに映画の場面に感情移入してしまうほど重みのある外観です。
近年、建物の老朽化が激しいそうで、残念ながら昨年からロケ時そのままの建物内は観覧できなくなってしまいました。
東日本大震災の後、莫大な費用が掛かる建物の修復は自治体にとっても困難なようですが、なんとか修復・保存してほしいと願うばかりです。

映画での場面は雲が垂れ込めた冬の日本海沿岸らしい酒田の情景でした。できたらこんどはぜひ冬に訪れたいと思いながらスケッチをし終えました。

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  山形県酒田市日吉町




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2015年09月11日

青春18きっぷ 庄内平野の旅 その三。

日本海に向かって走る陸羽西線が最上川と離れる狩川駅を過ぎる辺りから庄内平野の見渡す限りの水田風景が広がってきます。
車窓から見える一面の稲穂は山の方から吹き降ろしてくる強い風でしなり、あたかも波立つ湖面の複雑に動くうねりのようでした。

商人で賑わう湊町・酒田・・・江戸時代、江戸の人口増加による米の需要増から幕府に年貢米を送るよう命じられた幕府の御用商人・河村瑞賢(かわむらずいけん)が西回り航路(酒田・下関・瀬戸内・大阪・江戸)を開きました。
最上川が海に注ぐ酒田には庄内平野の米だけではなく、最上川上流の出羽国の米も船で運ばれ、集められた米を置く幕府専用の米蔵があったそうです。

そんな米どころ庄内の歴史の面影が今でも残る建物が「山居倉庫」です。明治時代に建てられた黒塗りの12棟の木造倉庫群は見上げる大きなケヤキ並木とともに、その景観はすばらしいものでした。

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  山形県酒田市山居町 山居倉庫










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2015年09月10日

青春18キップ 庄内平野の旅 その二。

今回の旅で第一のお目当てだったのが旅館です。
大正時代からの木造の建物外部、そして玄関、廊下、部屋、お風呂、お便所とどこを取っても掃除と手入れが行き届いていました。
とても清潔感がありながら肩を張らずに気持ちよく泊まれる昔ながらの旅館としてたいへん貴重な存在なのです。

予約しておいたのは独りにはもったいない最上階3階の屋根裏部屋的な四畳半の部屋が二つ繫がった部屋です。昔の建物らしい狭い廊下、階段が急なところがまた気に入りました。

心地よい風が入り込む畳の間に寝転ぶと、ビジネスホテルの狭い一室では到底味わえない開放感がある心和む空間がありました。壁に無粋なクーラーを取り付けない宿屋の主人の美意識と心意気にも感服しました。

あと、宿で出される夕食もだんぜんお勧めです。出てくる品も多く、どれもおいしく目移りしてしまうほど、ご飯ももちろん庄内産のおいしいお米です。
旅館のおかみさんの心がなによりうれしい郷土の料理でした。


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 山形県酒田市中町 最上屋旅館




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2015年09月06日

青春18キップ 庄内平野の旅 その一。

知り合いの人にいただいた2日分が残った青春18キップ・・・どこか遠くの知らない街に行きたいと思っていた矢先のことでラッキーでした。

2日分とは中途半端ではあり、さてどこへ行くか思案していたのですが、前から知ってはいたもののいつかは泊まりに行きたかった大正時代からの旅館がある庄内平野の酒田を訪ねることに決め、休みも都合できる8月の下旬に行ってきました。

今回は折りたたみの自転車持参という輪行の旅、庄内平野を走って楽しもうと言う魂胆です。
3日間の日程は1日目と3日目は往路復路一日中列車の乗鉄の旅、同じ宿に2泊、中一日を酒田の街と庄内平野を訪ねるというけっこうハードなものとなりました。

列車の乗り継ぎはパソコンでしっかり調べておきました。
いざ遥か遠い日本海へ向けて自宅を出発です。
海老名から相鉄線で横浜へ、横浜06:15発の快速ラビット宇都宮行きに飛び乗り、08:18に宇都宮着、駅のコンビニで買ったサンドイッチで朝食です。

これからが各駅停車の普通列車、乗り継ぎがたくさんあってたいへんです。
宇都宮08:44に黒磯行きに乗り込み、黒磯では09:38発の郡山行き、郡山11:06発、そして福島に11:54着です。

列車が郡山、福島の沿線に入ると東日本大震災による原発事故で汚染された土壌の貯蔵施設が目に入ってきます。
この問題はニュースで知っているはずなのですが、現実を見せられると日本全国で公平に貯蔵処理すべき問題であることを訴えかけてきます。

福島で改札を出て街中で昼食をとります。街のチェーン店もなんなので地元のの定食屋さんで「さば味噌煮定食」を注文。
いっぷくしたところで福島発12:51の奥羽本線米沢行きに、このあたり山の中を走り抜ける風景はすばらしくわざわざ席を立ってドア付近で立ち見状態でした。
米沢着は13:38、山形行きは13:41発で乗り換えに3分しかないキワドサ!無事にすべりこみセーフ!!これを逃すとたいへんなことになるところでした。

米沢、山形間では山麓にニョキニョキ伸びるブドウ栽培のビニールハウスの光景が今でも目に焼きついています。
山形には14:26に着いて、14:52発の新庄行き、16:12新庄から陸羽西線に乗り換えてやっとやっとのやっとこさで酒田に着いたのが17:16でした。

この陸羽西線はディーゼル列車で、もちろん単線ののどかなローカル線、とくに最上川沿いを走り抜ける風景は絶景です。
ああ・・・これが芭蕉にも詠まれた最上川か・・・と感慨深げに車窓から夕日に輝く水面を眺めていました。

酒田駅で自転車を組み立てて、お目当ての旅館へ・・・期待以上の宿に感激し、ここまで来た甲斐があったと思いながら畳の上に敷かれたふとんに入ったのでした。


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  山形県酒田市中町 「最上屋旅館」




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2015年08月20日

懐かしき茨城・大洗への旅 その四。

大洗に行って訪れないと後悔するのが大洗磯前神社です。
コンクリート製の大きな鳥居は後にできたもので、以前はもっとこじんまりした木製の鳥居でした。

鳥居をくぐって正面に100段以上ある石段が迫ります。
途中に踊り場が二箇所あるのですが、勾配はきついのでそこで休みながらの登頂です。
小さな鳥居をくぐると目の前に以前と変わらない境内と本殿がありました。
参拝をする前にしばらく狛犬のところの木陰で休憩、蝉の大合唱も許せるくらい心地よい海風が石段の方から吹き上がってきます。

参拝も終えて、石段のところにへ戻ると、さっき上ってきたときには気がつかなかったすばらしい海の眺望が目に飛び込んできました。
石段に座り込み、眼下に広がる穏やかな大海原を見ていると、自分自身の至らなさを思うのでした。
ふと思いついた「さんぽ旅」でしたが、新たなるチャレンジに出る出発の旅となりました。

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  茨城県大洗町磯前町




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2015年08月19日

懐かしき茨城・大洗への旅 その三。

母について行った毎日の買い物の行き先は保養所から一番近い食料品店です。
一軒で野菜から豆腐、乾物、調味料、酒・・・と魚、肉以外ならなんでも揃ってしまいました。
毎年毎年夏になると顔を合わすので母はいつしかその店のおばさんとも仲良くなってすっかりなじみ客になっていました。
世間話のおしゃべりも長々となると私は手持ち無沙汰で横に突っ立っているしかありませんでした。

漁師町ですから魚には困りません。魚屋さんも数軒あって、こどもながらも獲れたて新鮮な魚貝や海藻、干物も格別なおいしさだった記憶があります。
反対に困ってしまったのがパンです。7日もずっといるとご飯に飽きてきて、たまには昼は食パンとハムでサンドイッチでも作ろう・・・となったのですが、そうはいきませんでした。
パンを置いているのはお菓子屋さんで、売っているのは菓子パンばかり、食パンなど甘くないパンは全国的には当時は一般的ではなかったのです。

共同使用の小さな炊事場で元気ばかりの食欲旺盛な子供たちのために毎日三度の食事の準備はさぞたいへんだっただろうと想像するのですが、数年前亡くなった母も、生前、大洗の話になると「夏の海辺の生活」には私以上に思い出深いものがあったことが、その話しぶりから伝わってきました。


スケッチの左が海側で、左手にバス一台がやっと通れるほどの細いバス通り、右手のさらに細い生活道と共に今も当時の面影が残ります。(バイパスもできてもうバスは走っていないようでした)
当時はスケッチ右手いちばん手前に食料品店が、左手バス通りに行くと数軒の魚屋さんと一軒だけの肉屋さんとお菓子屋さんがぽつんぽつんとありました。


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 茨城県大洗町磯浜町




posted by Tai NUMAJIRI 沼尻泰 at 21:03| 紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする