2015年08月19日

懐かしき茨城・大洗への旅 その三。

母について行った毎日の買い物の行き先は保養所から一番近い食料品店です。
一軒で野菜から豆腐、乾物、調味料、酒・・・と魚、肉以外ならなんでも揃ってしまいました。
毎年毎年夏になると顔を合わすので母はいつしかその店のおばさんとも仲良くなってすっかりなじみ客になっていました。
世間話のおしゃべりも長々となると私は手持ち無沙汰で横に突っ立っているしかありませんでした。

漁師町ですから魚には困りません。魚屋さんも数軒あって、こどもながらも獲れたて新鮮な魚貝や海藻、干物も格別なおいしさだった記憶があります。
反対に困ってしまったのがパンです。7日もずっといるとご飯に飽きてきて、たまには昼は食パンとハムでサンドイッチでも作ろう・・・となったのですが、そうはいきませんでした。
パンを置いているのはお菓子屋さんで、売っているのは菓子パンばかり、食パンなど甘くないパンは全国的には当時は一般的ではなかったのです。

共同使用の小さな炊事場で元気ばかりの食欲旺盛な子供たちのために毎日三度の食事の準備はさぞたいへんだっただろうと想像するのですが、数年前亡くなった母も、生前、大洗の話になると「夏の海辺の生活」には私以上に思い出深いものがあったことが、その話しぶりから伝わってきました。


スケッチの左が海側で、左手にバス一台がやっと通れるほどの細いバス通り、右手のさらに細い生活道と共に今も当時の面影が残ります。(バイパスもできてもうバスは走っていないようでした)
当時はスケッチ右手いちばん手前に食料品店が、左手バス通りに行くと数軒の魚屋さんと一軒だけの肉屋さんとお菓子屋さんがぽつんぽつんとありました。


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 茨城県大洗町磯浜町




posted by Tai NUMAJIRI 沼尻泰 at 21:03| 紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月18日

懐かしき茨城・大洗への旅 その二。

小学校低学年だった頃から中学卒業するころまで毎年続いた大洗滞在でしたが、最後となった年からでももうずいぶんと長い年がたってしまいました。

大人になってから一度くらいは訪れたことがあったかもしれませんが、それから数えても今回は20数年ぶりの再訪、風景の変わりようにはただただ驚いてしまうばかり、まるで浦島太郎になったかのような感覚です。

「浦島太郎」といえば竜宮城ですが、行きはじめた当時、松林が美しい大洗海岸の砂浜に水族館があって、その正面入口の建物がまさに竜宮城を模したものだったのを思い出しました。
それも幻だったかように今は跡形もなくなってしまっていたのを見て、長い時の流れを感じずにはいられませんでした。

ふと、父が旅行した地で買ってはだんだん集まってしまったたくさんの観光地の絵葉書セットの中に「大洗めぐり」という昭和30年代か40年代当時のものがあったはず・・・と押入れから捜しだしてきたのがこれであります。


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 茨城県大洗町磯浜町 大洗水族館




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2015年08月14日

懐かしき茨城・大洗への旅 その一。 (トップページの設定変更しました)

荒川をはさんで埼玉県と隣接する東京の下町にいた小学生の頃、夏休みが終わって学校で友だちと再会し、帰省したときのたのしい話をたくさん聞いたりすると、親に連れられて帰る地方の実家というものがない自分の境遇に「あ〜あ、つまんないなぁ〜」と心の中でつぶやいていました。

そんな息子たちのことを両親は想ったのでしょうか、夏休みになると毎年連れて行ってくれたのが茨城の大洗海岸です。
そこには父の勤め先の保養所(厚生施設?)があって、海辺の長期滞在はみんなしてたのしみにしていた「家の一大行事」でした。

旅館などが建ち並ぶ道路沿いの木戸を開け、松林の先の立派な門をくぐると、萱葺き屋根が印象的で松の木がみごとな日本庭園のある由緒ありそうな平屋の一軒家がありました。

玄関を上がると正面に立派なついたて、そして襖で仕切られた8畳間がふとん部屋を挟んで三つ・・・そして、波打ち寄せる海岸が目の前という最高のロケーションです。
同じ職場関係の三世帯の家族が襖一枚となり合わせに寝泊り、炊事場もお風呂も一つでやりくりするという今ではちょっと考えられない保養所でした。

滞在日数もほかの家族は3日ほどでササッと帰るのに、こちらは毎年7日間ぐらいといつも長期、長いときは10日間に渡ったこともあった、それはまるでフランス型のバカンスのような夏休み休暇でした。

朝はラジオ体操にはじまり、朝食の後、その日の夏休みの宿題を済ませてから午前中は海水浴に磯遊び、昼食の後、すっかり疲れてしまった午後は部屋で浜風を感じながらのお昼寝に読書タイム、夕方は母の後に付いて食料品店へ夕食の買い物・・・大洗はそんな毎日毎日が楽しかったこどもの頃の大切な思い出の地なのです。


スケッチした小さな灯台は目の前の海岸の岩場の上に建っていた当時からずっと変わらない、私にとって大洗のシンボル的な建造物です。(残念ながら現役は退いたようで、現在、正式には「磯浜灯柱」と呼びます)
点検の際は一階の入口ドアから中に入って、内階段で2階へ、そして入口ドア上の小さなベランダにいったんにじり出てから、ハシゴで上っていくのでしょうか・・・そんな建物の構造がおもしろい灯台です。


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  茨城県大洗町磯浜町 大洗灯台



追記 : 私も大好きな「灯台」ですが、フリーペーパーも発行している「灯台どうだい?」という灯台に魅せられた方のサイトを見つけました。

「灯台どうだい?」




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2015年04月20日

愛知・知多半島の旅 その四。

連日の冷たい雨降りの中の散策でどうやら体を冷やし
体調をくずしてしまったようです。
でも記憶に残したかった水路風景はなんとかスケッチにすることができました。
「知多半島を再び訪れたい」という気持ちを胸に、大野町を後にしました。

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 愛知県常滑市大野町





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2015年04月14日

愛知・知多半島の旅 その三。

武豊散策を終え、こんどは名鉄に乗り換えて伊勢湾側の常滑へ
陶磁器にうとい私でも「常滑焼」は聞いたことがある名です。
観光案内所でもらった「散歩道マップ」を頼りに街を散策開始です。
10本もの煙突が連なる登り窯の迫力ある光景には感動しました。
また土管や焼酎瓶が積まれた「土管坂」は常滑ならではの風情を感じさせます。

スケッチは大野町で出会った昔ながらの旅館です。
この宿に泊まりたかったのですが、廃業されたようで残念でなりません。

大野町は千葉県の水郷・小見川にも似た水路がある町風景で
数日のんびり滞在したくなるほどの気に入った町でした。


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 愛知県常滑市大野町





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2015年04月13日

愛知・知多半島の旅 その二。

二日目も冷たい雨模様の日。半田駅から武豊線終点の武豊駅へ向かいました。
武豊線は「たけとよせん」と読むのですが、
九州の筑豊線のように発音するのかなという先入観で「ぶほうせん」とばかり思っていました。
武豊の町には「みそ、たまり醤油の醸造所」がいくつもあり、
町のどこにいても豆みそ、たまり醤油の香りがしてきます。
スケッチは「南蔵」の豆みそ、たまり醤油醸造所の前での一枚。
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 愛知県知多郡武豊町





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2015年04月09日

愛知・知多半島の旅 その一。

季節はずれの寒さと雨の中、行ってみたかった愛知県の知多半島をぶらりとしてきました。
東海道線の大府駅から同じJRの武豊線に乗り換え半田駅のホームに降り立つと
それはそれは古い跨線橋と木造の駅舎が出迎えてくれました。
半田は全国的に名の知られたミツカン酢の本社があることでも有名です。
運河沿いを散策していると地産のたまり醤油の醸造蔵と出会いました。
今も残る黒板囲いの蔵と運河のある風景は遠く江戸時代に私を招いてくれました。

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 愛知県半田市東雲町




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