2016年01月08日

新春登山 その一

正月休みの最終日3日に神奈川県の大山山頂(1252m)まで登ってきました。

「新春登山」というタイトルから山登りをふだんからしているかのように思われるでしょうが、これが初めてという(私の記憶では・・・)私にとっては歴史的快挙!?なのであります。
「・・山頂まで」とあたりまえのことを書いてしまったあたり大袈裟で登山をしたことがないことがすでにバレバレだったでしょうか。

毎日、朝起きて雨戸を開けると目の前に飛び込んでくる「大山の風景」、空気が澄んだ今頃は山頂にある電波塔までくっきり確認できます。
長年眺めてきた身近な山ですが、いままで登ろうと思ったこともなかったというのが今となっては不思議な感じがします。

事の始まりは、昨年の暮れの夕方、家の前を掃除していたとき、向こうの方から山登りの格好をしたよく知っている向かいに住むSさん夫婦が歩いてきました。
ふたりとも歳も70才代後半だというのにふだんから山歩きが好きなご両人、見るからに足腰が丈夫なような印象です。
「大山に登ってきた」と聞き、ご両人の話しぶりになにか一日充実した満足感、達成感が私にも伝わってきました。
別れ際、一度も登ったことのない私に驚き「沼尻さんも登ってみなさい」と発破をかけられてしまいました。

「初日の出」は見に行ったものの元日、2日とたいしたこともせず過ぎてしまう中、大山を眺めながら、あの山頂から見る私の住む場所はいったいどんな眺めなのだろうか・・・とだんだん興味が出てきました。
「よーし、これは登らないわけにはいかなくなってきたな」と一念発起したのでありました。


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  神奈川県秦野市 大山山頂









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2015年09月21日

青春18きっぷ 庄内平野の旅 その七。

翌朝は5時ごろにはもう目が覚めていました。
風はなんだか昨夜よりひどい感じです。
列車の乗り継ぎなど予定では酒田09:02発の新庄行きを考えていたのですが、用心してその前の列車07:40発に合わせて旅館の朝食時間を早くしてもらっていました。


駅の待合室には十数名、旅行客らしき夫婦は心配そうに駅員さんに状況を聞いているようすでした。
けっきょく07:40発の列車は運休、次の09:02のが出るようなので、一安心して待つことに・・・通常どうり10分前くらいにホームに列車が入ってきました。
車内放送では連絡する羽越本線の列車も遅れているとのこと、13分遅れで出発です。
どうやらまあまあ順調だな、などとこれからの展開を想像できず、のん気なことを考えていました。

強い風を受けながらも徐行運転で余目駅までは順調に走っていた列車でしたが、余目駅ではホームからいっこうに発車する気配がありません。
なんだか風がさらに強くなってきたようです。車内放送で風が弱まるまでしばらく停車の声・・・10分くらいしてまた徐行運転開始、こんどは牛歩のような遅さでカッタン・・・コットン走っていきます。
何も障害物がない広大な庄内平野の風!!恐るべしです。
こんどは稲穂が荒れ狂う海のようにひどく波打つ田んぼのど真ん中で立ち往生。
2両編成の車体がふわりと浮くように感じるほど車体も揺れ、一歩たりとも進めない状況になってきました。
運転手は駅の運行係と連絡、何度も電話しているようすです。
かれこれ30、40分はじっと我慢の子状態だったでしょうか。その間、青く澄み切った空に浮かぶ雲たちが次から次へビューン、ビューンと新幹線並の速さで海のほうへ飛んでいくのを、あきらめの境地で眺めていました。

列車はようやく走りだし、庄内平野の入口、狩川駅までなんとかたどり着きました。次の清川駅あたりからは最上川沿いの渓谷を走るので風の影響はなくなり、最新のディーゼル列車は水を得た魚のように速度を上げて新庄めがけて突っ走りました。


そんなこんなで新庄駅に着いたのは定刻10:05着が大幅に遅れて11:30ころに、事前に調べておいた、うまく行きすぎの列車乗り継ぎ予定は無残にもコナゴナに!
それでも11:40発の山形行きにすべりこみ、なんとか12:57に山形までこられました。
さてここからがたいへんでした。
普通列車で山形から米沢を経由して福島までいく列車がありませ〜ん!に等しいくらいの本数なのです。駅員さんに聞くと、次の米沢行きは14:21発、米沢着が15:11、これはよいとして、問題は米沢では福島行きの列車が17:44発までないのです。
2時間半以上の待ちぼうけはその日の中に家に帰るには致命的でした。

気を落ち着かせて山形駅の改札を出て、ラーメン店で昼食。自腹ですがもう奥の手の新幹線を使うしかなさそうです。(仙山線で仙台に出るという手もあったか?)
新幹線つばさ山形発14:53、福島には16:04に着く、さすが新幹線、従来線のレールですがけっこう早いです。
普通列車なら米沢での待ち時間のこともあって福島着18:30着ですからだいぶ時間を稼げました。
でも、新幹線車内はとても混んでいて、自由席車両はもちろん指定席車両の通路まで立ち乗りの人が入り込むほどのギュウギュウ状態でした。

あとは、何もなかったかのように普通列車でスムーズにことが進みちょっと拍子抜け。
福島発16:28黒磯着18:33、黒磯発18:38宇都宮着19:28、宇都宮発19:30湘南新宿ライン快速逗子行き横浜着21:52、そこから私鉄・相模鉄道で海老名、なんとかその日の中に自宅に帰ってこられたのでした。
庄内平野での孤立状態を思い出し、あ〜あ、よく戻ってこられたな〜、というのが実感・・・それにしても疲れました。


ちなみに山形で新幹線に乗らず意地を通して普通列車で自宅に向かっていたとしたら、どうなっていたか・・・横浜着00:29で到底自宅帰還は無理でした。

スケッチは酒田駅のホームで見た羽越本線・普通・秋田行きのレトロな3両編成のディーゼル列車。こんどはこれに乗って日本海沿いに秋田まで足を伸ばしたいものです。


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  JR酒田駅ホーム 羽越本線 普通「秋田行」




posted by Tai NUMAJIRI 沼尻泰 at 13:12| 紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月19日

青春18きっぷ 庄内平野の旅 その六。

中一日だけの酒田滞在なのに市内散策でだいぶ時間を使ってしまっていました。
中心街にある百貨店のようなショッピングセンター「清水屋」の近くにあるレトロな食堂「よしのや食堂」で昼食。
もう時刻は午後2時過ぎでしたが、せっかく自転車を持ってきたのだから田んぼが広がる庄内平野を走ってみたいという気持ちも強くなってきました。

陸羽西線の列車の車窓から眺めていたあの風光明媚な最上川沿いの道路を走ろうと思いつき、まずは酒田駅から陸羽西線に乗って、すこし上流で最上川と合流する古口駅まで輪行です。
ここは最上川ライン下り発着所の最寄り駅なので、平日なのにタクシーの客引きの人もけっこういました。
さあ、最上川沿いに酒田まで走り出します。
新庄の方から吹きおろしてくる強い追い風を味方に快走です。
しかしこの道路は道幅がないわりには大型トラックの往来も多く、横スレスレを追い越していく漢もいて怖い思いをしました。
オートバイなら最高だったでしょうが、けっして自転車にはお勧めのコースではありません。

狩川駅の辺りから道路は最上川と離れ、最上川の土手沿いのサイクリング・ロードへ逃れることにします。
車を気にせずに楽〜な追い風を受けながら、青い空も水田も遥かかなたまで広がる庄内平野を満喫しました。
陸からの強い風は庄内平野の名物、風力発電の風車がビュンビュン回って、群れとなって立っています。
そんな役に立つ風ですが、昭和51年の「酒田の大火」ではその風が災い大惨事になってしまいました。
宿屋の主人に「大火の記録写真」を見せてもらいましたが、火は海から吹いた強い風にあおられたちまち燃え広がり、中心部の大部分が焼失してしまったそうです。

スケッチは酒田の北、遊佐の町、鳥海山裾野を流れる月光川からの鳥海山風景です。
もう日も落ちる夕方、ぜひ訪ねておきたかった、映画「おくりびと」の主人公がチェロを弾いていた、あのシーンのロケ地にたどり着くことができました。
下校途中の自転車に乗った数人のヘルメット姿の中学生に「こんにちは!」と挨拶されると、なにかとてもシアワセな気分になりました。

最寄りの遊佐駅から列車に乗ってすっかり暗くなった酒田の宿にすべり込みセーフです。
台風15号は九州を抜け温帯低気圧になって日本海へ、東北は幸い影響なく晴天続きだったのですが、風だけはだんだんひどいことになってきました。
宿のガラス戸がガタガタ音を立てています・・・宿のおやじさんの話っぷりから翌日の列車運行状況がだんだん心配になってきました。


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  山形県遊佐町 「月光川と鳥海山」




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2015年09月17日

青春18きっぷ 庄内平野の旅 その五。

湊町酒田は江戸時代、西廻り航路が開けた後、廻船・北前船の重要な寄港地になり、米や紅花が大阪や京都に運ばれました。
北前船の往来で商業が発達、豪商も次々と出現し、舞妓さんのいる茶屋文化や格式のある料亭文化など市内にある観光名所には「京の町」を彷彿とさせる文化財が点在します。

「港」というとすぐ太平洋沿岸の漁港を思い浮かべてしまう私ですが、日本海沿岸の港町には明治以後の横浜のような華やかな湊町文化がずっとずっと以前から発展してきたのだなあ、と訪れてはじめて北前船のこととともに理解ができました。

別の話になりますが、市内の飲食店をとってみても海に近いわりには魚料理の店が少なく、かえって焼肉・ホルモン焼きの店の方が多いのには驚きました。
今回は食べる機会を失ってしまった「酒田ラーメン」も気になります。

市中のスーパーマケット巡りも好きで、地元の人が行くようなスーパーでその土地しか売っていないものを見つけたりするのが楽しみです。
とあるスーパーに入ったときのことです。
菓子売り場の前を通り過ぎようとした瞬間、忘れかけていた愛知の旅を思い出すお菓子の袋が目に飛び込んできました。

それは私の住んでいるところではまずお目にかかれないお菓子、愛知県小牧市に本社がある松永製菓の「しるこサンド」でした。
愛すべき愛知のローカルなあのお菓子がなぜ?はるか遠く離れた東北・日本海の湊町での予期せぬ再会にうれしさがこみあげ、気がつくと手を差し伸べていました。

レジの人に聞くと、ここ庄内平野ではずいぶん前からの、なじみ深い人気のお菓子だそうです。
流行や情報、何もかもが東京発信、東京経由のように感じ、物質だけは豊かになった日本全国画一的な価値感の現代ですが、そのお菓子のことと北前船の往来で伝わった文化のこととが頭の中で重なり、ほんとうは地方同士の文化の繫がりが互いを影響し合い、より豊かな文化を育てるのではないかと・・・そんな気がしました。

スケッチは江戸時代から酒田を代表する料亭「相馬屋」を修復した「相馬楼」。

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  山形県酒田市日吉町 「相馬楼」





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2015年09月15日

青春18きっぷ 庄内平野の旅 その四。

2008年公開の映画「おくりびと」の舞台が酒田だったということを知ったのは今年に入ってからのことでした。(原作は富山が舞台の話です)

私はたまにYoutubeで気に入った曲を見つけると何度も何度も聞きながら口ずさみ、耳で音階を覚えてメロディーに合わせキーボードを弾いて遊んだりするのですが
その中で好きになった曲のひとつがチェロの音色が美しい「おくりびと」のメインテーマ曲です。
そして映画を実際に観てみたいと思うようになりました。
それは「人間の生死、家族の愛、愛する人への愛」が厳しい冬の酒田の風景とともに描かれた、こころ奥深くまで問いかけてくる映画でした。
いつしか私は「おくりびと」に出てくる酒田に行ってみたくなっていたのです。

スケッチは映画の中で「NKエージェント事務所」として出てくる「旧割烹小幡」の建物です。
港に近い日和山公園の丘へ向かう坂の途中にあって、右側に隣接する和風の同じ割烹とともに、その場に立つとすぐに映画の場面に感情移入してしまうほど重みのある外観です。
近年、建物の老朽化が激しいそうで、残念ながら昨年からロケ時そのままの建物内は観覧できなくなってしまいました。
東日本大震災の後、莫大な費用が掛かる建物の修復は自治体にとっても困難なようですが、なんとか修復・保存してほしいと願うばかりです。

映画での場面は雲が垂れ込めた冬の日本海沿岸らしい酒田の情景でした。できたらこんどはぜひ冬に訪れたいと思いながらスケッチをし終えました。

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  山形県酒田市日吉町




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2015年09月11日

青春18きっぷ 庄内平野の旅 その三。

日本海に向かって走る陸羽西線が最上川と離れる狩川駅を過ぎる辺りから庄内平野の見渡す限りの水田風景が広がってきます。
車窓から見える一面の稲穂は山の方から吹き降ろしてくる強い風でしなり、あたかも波立つ湖面の複雑に動くうねりのようでした。

商人で賑わう湊町・酒田・・・江戸時代、江戸の人口増加による米の需要増から幕府に年貢米を送るよう命じられた幕府の御用商人・河村瑞賢(かわむらずいけん)が西回り航路(酒田・下関・瀬戸内・大阪・江戸)を開きました。
最上川が海に注ぐ酒田には庄内平野の米だけではなく、最上川上流の出羽国の米も船で運ばれ、集められた米を置く幕府専用の米蔵があったそうです。

そんな米どころ庄内の歴史の面影が今でも残る建物が「山居倉庫」です。明治時代に建てられた黒塗りの12棟の木造倉庫群は見上げる大きなケヤキ並木とともに、その景観はすばらしいものでした。

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  山形県酒田市山居町 山居倉庫










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2015年09月10日

青春18キップ 庄内平野の旅 その二。

今回の旅で第一のお目当てだったのが旅館です。
大正時代からの木造の建物外部、そして玄関、廊下、部屋、お風呂、お便所とどこを取っても掃除と手入れが行き届いていました。
とても清潔感がありながら肩を張らずに気持ちよく泊まれる昔ながらの旅館としてたいへん貴重な存在なのです。

予約しておいたのは独りにはもったいない最上階3階の屋根裏部屋的な四畳半の部屋が二つ繫がった部屋です。昔の建物らしい狭い廊下、階段が急なところがまた気に入りました。

心地よい風が入り込む畳の間に寝転ぶと、ビジネスホテルの狭い一室では到底味わえない開放感がある心和む空間がありました。壁に無粋なクーラーを取り付けない宿屋の主人の美意識と心意気にも感服しました。

あと、宿で出される夕食もだんぜんお勧めです。出てくる品も多く、どれもおいしく目移りしてしまうほど、ご飯ももちろん庄内産のおいしいお米です。
旅館のおかみさんの心がなによりうれしい郷土の料理でした。


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 山形県酒田市中町 最上屋旅館




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2015年09月06日

青春18キップ 庄内平野の旅 その一。

知り合いの人にいただいた2日分が残った青春18キップ・・・どこか遠くの知らない街に行きたいと思っていた矢先のことでラッキーでした。

2日分とは中途半端ではあり、さてどこへ行くか思案していたのですが、前から知ってはいたもののいつかは泊まりに行きたかった大正時代からの旅館がある庄内平野の酒田を訪ねることに決め、休みも都合できる8月の下旬に行ってきました。

今回は折りたたみの自転車持参という輪行の旅、庄内平野を走って楽しもうと言う魂胆です。
3日間の日程は1日目と3日目は往路復路一日中列車の乗鉄の旅、同じ宿に2泊、中一日を酒田の街と庄内平野を訪ねるというけっこうハードなものとなりました。

列車の乗り継ぎはパソコンでしっかり調べておきました。
いざ遥か遠い日本海へ向けて自宅を出発です。
海老名から相鉄線で横浜へ、横浜06:15発の快速ラビット宇都宮行きに飛び乗り、08:18に宇都宮着、駅のコンビニで買ったサンドイッチで朝食です。

これからが各駅停車の普通列車、乗り継ぎがたくさんあってたいへんです。
宇都宮08:44に黒磯行きに乗り込み、黒磯では09:38発の郡山行き、郡山11:06発、そして福島に11:54着です。

列車が郡山、福島の沿線に入ると東日本大震災による原発事故で汚染された土壌の貯蔵施設が目に入ってきます。
この問題はニュースで知っているはずなのですが、現実を見せられると日本全国で公平に貯蔵処理すべき問題であることを訴えかけてきます。

福島で改札を出て街中で昼食をとります。街のチェーン店もなんなので地元のの定食屋さんで「さば味噌煮定食」を注文。
いっぷくしたところで福島発12:51の奥羽本線米沢行きに、このあたり山の中を走り抜ける風景はすばらしくわざわざ席を立ってドア付近で立ち見状態でした。
米沢着は13:38、山形行きは13:41発で乗り換えに3分しかないキワドサ!無事にすべりこみセーフ!!これを逃すとたいへんなことになるところでした。

米沢、山形間では山麓にニョキニョキ伸びるブドウ栽培のビニールハウスの光景が今でも目に焼きついています。
山形には14:26に着いて、14:52発の新庄行き、16:12新庄から陸羽西線に乗り換えてやっとやっとのやっとこさで酒田に着いたのが17:16でした。

この陸羽西線はディーゼル列車で、もちろん単線ののどかなローカル線、とくに最上川沿いを走り抜ける風景は絶景です。
ああ・・・これが芭蕉にも詠まれた最上川か・・・と感慨深げに車窓から夕日に輝く水面を眺めていました。

酒田駅で自転車を組み立てて、お目当ての旅館へ・・・期待以上の宿に感激し、ここまで来た甲斐があったと思いながら畳の上に敷かれたふとんに入ったのでした。


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  山形県酒田市中町 「最上屋旅館」




posted by Tai NUMAJIRI 沼尻泰 at 02:02| 紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする